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sazanamiの物語

恋愛小説を書いています。 創作表現上の理由から、18才未満の方は読まないで下さい。 恋愛小説R-18

そうそうない 318 2016年5月1日のこと(13)

Posted by 碧井 漪 on  

美和の話をうんうん、と頷きながら聞く僕の耳に、その内容はちっとも入って来ない。

「元、聞いてた?」

「え?うん。」

「じゃあ、いいのね?」

「何が?」

「ほら聞いてない。」

「もう一度言って。」何がいいって?

美和は和室の入口を気にしてから、僕の耳に手を当て、声を潜めて言った。

「帰ったら、いっぱいキスしてね?って言ったの。」



「えっ?」

「元さっき、うんって言ったからね。」

美和が子どもみたいな事をするなんて、今までなかったかもと可笑しくなって笑った僕は

「うん。」と返事をした。

すると美和は途端に頬と耳を赤くして俯き、僕のスーツの袖口を軽く抓んで「嫌なら別にいいから・・・」とさっき言ったという言葉を取り消そうとした。

「嫌じゃないから、別にいいよ。」了承した旨を伝えると、

「もー、イジワル。」僕の膝をペシッと叩いた。

意地悪?何故だろうと首を傾げると、

「美和、ちょっと手伝って。」とお母さんが両手で抱える角盆には、蒸篭(せいろ)が載せられて居た。

「はい。」と立ち上がった美和に、

「玄関におつゆのがあるから。」とお母さんは言って、抱えていた角盆を畳の上にそっと置いた。

それからお母さんは、一つ取った蒸篭を僕の前に置き、隣に美和の蒸篭を並べ、僕の向かいにもう一つ並べた。

そして「お父さん、やっぱり来ないみたい。」と申し訳なさそうに僕に告げた。続けて「足、崩して楽にして。」と言ってくれた。

「はい。」と僕はお言葉に甘え、痺れの出て居た足を崩し、胡坐を掻いた。

そこへ美和が戻って来て、薬味、蕎麦猪口(そばちょこ)、蕎麦徳利(そばどっくり)をそれぞれの蒸篭の横に並べた。

「じゃあ、お蕎麦が伸びない内に食べましょう。」とお母さんに促され、美和も僕の隣に座った。

「あれっ?元・・・」と美和は何かに気付いた様子。僕の脚を見て居る。

「足、崩したから?」と訊くと、軽く頷いた。

「お行儀悪い?」

「ううん違うの。元が胡坐掻くの好きだから。」

僕が胡坐を掻くのが好き?どういう意味なのだろう。

「はいはい、あなた達、そういうのは帰ってからにして、食べましょう。」

お母さんには面白くないやり取りだったのか、とにかく不安にさせてしまったのならと、僕はせめてと背筋を伸ばし、目の前の蒸篭と向き合った。

「いただきます。」と言ってから、

店名の入った割り箸袋から取り出した箸を割り、持ち上げた蕎麦の下の方1/3を蕎麦猪口の中のつゆに浸け、ずずっと音を立てて啜った。

まずは薬味なしで、蕎麦と出汁を味わう。

五月初旬、室内でのスーツは、東京より涼しいこの地域でも少し汗ばむ。

その中で、口に含んだ冷たい蕎麦の舌触り、噛み応え、香り、喉ごし、出汁の味は、僕の脳天に響いた。

「どう?美味しい?」

美和の問い掛けに、僕は次の蕎麦に箸を伸ばし、咀嚼しながら二度頷いた。

ずるっ、ずるるるっ・・・・・・

ふはーっ!

もぐもぐ、ごくん。

「上着、脱いだら?」

中腰になって促す美和に僕は甘え、一度箸を置くと、脱いだ上着をその手に預けた。

美和は「ハンガーに掛けておくね。」と和室を出て行き、少しして戻って来た。

美和が戻って来るまでの間、箸を置いたままの僕に、お母さんは「薬味もどうぞ。」と勧めてくれた。

はい、と返事をする僕の前で「お茶淹れ直して来ましょうね。」とお母さんが立ち上がろうとしたので、

「いえ、食べ終わってからで結構です。」と言うと、お母さんはにこりと笑って頷いた。

戻って来た美和が「二人共食べないの?」と訊くと、「食べましょう。」とお母さんが言い、三人揃って箸を持った。

ずる、ずるる、ずるるっ。

会話もせず、ただ蕎麦を一緒に食べた。それだけなのに、さっきまで母娘二人だけしか入れなかった空間はなくなり、僕も含めた三人で共有出来るようになって居た。

美味しい蕎麦を堪能した後、お母さんが淹れてくれたお茶を飲んで、訊かれるまま、僕らの日常を美和が上手に話してくれた。

お母さんは微笑んだまま、ただうん、うんと相槌を打って聞いてくれた。

やさしそうな雰囲気。それが美和と似て居て、思わず僕も目を細める。

それから二時間待って居たけれど、結局お父さんは戻らず、

「もういいよ、元。帰ろう。」と言う美和に促され、「今日はこれで失礼致します。」とまた来る旨をお母さんに伝え、帰る事にした。

今日の目標を達成させる事は出来なかった。

美和のお母さんとは会って話せたけれど、お父さんにはまだ結婚のお許しを貰えて居ない。

最後にお母さんは、『私は反対しないから。美和がいいならいいのよ』と言ってくれた。

しかし、胸中は複雑に違いない。正確な年齢は訊いてないが、お父さんと同じ位なら、僕と十歳も違わないだろう。

自分の娘が二十歳も年上の男と結婚するなんて、考えた事もないかもしれない。いや、普通なら考えない。

それなのに僕を温かく迎えてくれた事に僕は感謝して居た。

お父さんに会えなかったのは残念だったけれど、お母さんに会えて良かった。

お父さんに反対されると思うけれど、お母さんに反対されなくて良かった。



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碧井 漪

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