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sazanamiの物語

恋愛小説を書いています。 創作表現上の理由から、18才未満の方は読まないで下さい。 恋愛小説R-18

近男 -Kindan- (R-18) 改稿版 4 代償の始まり

Posted by 碧井 漪 on  

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小説15禁・18禁(性描写あり)


流星が寂しそうに吐いた”出て行く”という言葉が、私の胸に突き刺さる。

「輝美が嫌なら、俺は出て行くしかないよね」

私が”嫌”なのは、あなたじゃなくて、私のはっきりしない気持ちの方よ。

モヤモヤ、ぐずぐず、毎日繰り返して、どれが正しいのか、あなたにとって良い事なのか解らなくて、いくら考えても答えを出せずにいる自分を投げ出したくなっただけ──本当に悪いのは私の方なのに、あなたを遠ざける事しか今は思い付かない。

輝美が「悪いのは自分の方」だと気付いた時、流星は荷物が置いてある部屋に入って行った。

流星が本当に出て行ってしまう───それを考えた時、私の全身から熱が消え、緊張が解けた。

やっぱり、これでいいのかもしれない…流星の実家を奪うようで申し訳ないけれど、でも、いつまでも私の近くに居てはあなたが駄目になるとハッキリした今、私は心を鬼にするべきなのかもしれない。

あなたの私に対する想いは恋でも愛でもないの。母に求めたい愛情を勘違いしただけよ。

早く目を醒まして。いつまでもこんな私にしがみ付くのではなく、あなたはあなたを愛してくれる女性と結婚して、しあわせになるべきだわ。

流星は私を忘れる。離れたら、これまでの二年のように。

今まで私が正しい答えを出せなかったのは、戻って来たあなたを頼ろうとしてしまったからだわ。独りで生きて行くと決めていたのに、いつの間にか私はあなたを───

輝美は体の横に下ろした両拳を、痛くなるまで強く握り締めた。

それから五分とかからずに、荷物を纏めた流星が部屋から出て来て、お世話になりました、と輝美に向かって丁寧なお辞儀をした。

「俺はね、綺麗な景色を見た時、美味い物を食べた時、体がツラい時、一番に思い出すのは輝美だよ」流星は、背中に大きな黒のリュックを担ぎながら言った。

そんなの…私だってそうよ。家族だから、当たり前でしょう?

真っ直ぐに輝美を見つめて来る流星から視線を逸らした輝美は「秋子さんだってそうだと思うわ」と流星の母を引き合いに出して答えた。

「輝美がそう考えるのは、そういう時、輝美も俺を思い出してくれてるからって思っていてもいい?」
「私は…」

そんなの、私もと答えたら、流星にまた”女としての愛”だと誤解されると思って「私は違うわ。思い出さない」と言った。

「…わかったよ。16の時から今まで、本当にありがとうございました。輝美の人生、二度と邪魔しない。これからは独りで生きて行く。輝美の事も思い出さないようにするから安心して」
「流星…」

あなたも、私には二度と会わないと決めてくれたのね。

流星の顔は微笑もうとしているのに、その目の中は赤く、潤んでいた。

私は流星の悲しむ表情を見た時、これで良いとは思えなくて、”行っちゃだめ!”と心の中で叫んでしまった。

だけど、その声と涙を堪えた。言わない、泣かない、流星の為に。

これが子離れって事なのね。

心配を呑み込み、子どもを信じて黙って見送るのが親。

でも今、彼を見送ったら、二度とここへは戻って来ないという寂しさで胸がざわめき、落ち着かなくなった。

これで、流星には二度と会えないかもしれない──でも、流星の為には、こうするしかない。

流星が玄関から出て行き、ドアが閉まった後の静寂の中、輝美の心配は不安に変わって行った。

流星が、もしもサチさんの所へ行かずに独りで居たら…いいえ、もう大人なんだから、そんなの私が心配する事じゃないわ。心配はしない。

だけど、心に次々浮かんで来る不安は消せない。

あなたと二年離れて、ようやく慣れた独りの生活を掻き乱されて、また二年前の二人で暮らしていた頃の私に戻ってしまった今、 あなたの事を考え過ぎて、胸がいっぱいで、もしもの事まで考えてしまうと、胸が潰れそうに苦しくなる。

犯した罪の代償──罰を受けると決めていたくせに、いざとなると独りの苦悩の中、息絶えるまでじっとしていられないのかしら。

苦しくてもいいなんて嘘ね。人間って嘘つきなのに、自分には当てはまらないなんて…思い上がりも甚だしいわ。

ああ、喉がカラカラ…お水を飲もう。

輝美の胃は、再びキリキリする痛みを覚えていた。

灯かりを点けたキッチンのコンロの上に、二年以上使っていなかった寸胴鍋があるのに気付いた。

蓋を開けると中身はカレーだった。おたまで掬い上げると白い湯気が上がった。まだ温かい。

一口味見すると、輝美と輝美の母の作るカレーの中間の味。

一人だったら買わなかったでしょうね、こんな大きな鍋。

昔、食べ盛りの流星の為に、カレーを作る大きな寸胴鍋を、二人で一緒に道具街まで買いに行った事を思い出す。

仕事が忙しくなる時期になるとカレーにして、二日三日続けて食べた。

飽きると、残ったカレーをフライパンでパン粉と共に炒めて、冷凍のパイ生地に三角形に包んでからラップで包んで冷凍した。

それを、食べる時にオーブントースターで焼くと、パリパリのパイ生地に包まれたカレーは一層香ばしくなって、休日のブランチに打って付けだった。

『輝美ー、俺、またカレーパイ食べたい。カレー作ってよ。そしたら明日、俺がパイに包んでおくからさ』

今夜のカレーは挽肉、玉ねぎはみじん切り…カレーパイを作る事を見越したかのよう。

輝美が覗いた戸棚には新しいパン粉の袋、そして冷凍庫にはパイシートが入っていた。

流星、カレーパイを作るつもりだったのね…いつの間にかカレーも同じ味で作れるようになって。

輝美は涙をぼろぼろと零した。

私は、流星に何をした? こんな焦った気持ちの中で、導こうとした正解がこれなの?

誰にとって正しい答え?誰にとってしあわせになれる答え?

わからない…私には、どうすれば良かったのか、わからない。

重く感じる下腹部に手を当てながら、輝美は座り込んだソファーで動けなくなった。

静かになった部屋の中で等間隔に響く針の音だけが、時の経過を知らせていた。

今何時…さっきのは、夢?いいえ、現実だわ…私が招いた事態。

流星が、この家を出て行った───

輝美は何をする気にもなれず、帰宅した姿のままウトウトしたのは、陽が昇ってからだった。




日曜の22時過ぎ。

カタッ!

玄関の方から音がした。キッチンにいた輝美は、急いで玄関へ向かった。

けれども、玄関のドアは施錠されたまま。

パジャマにガウンを羽織った姿の輝美は、玄関履きのサンダルを突っ掛けて鍵を開け、頭だけ出してマンションの廊下を覗き込んだ。

誰もいない。

『俺、やっぱり行く所ないから戻って来た』

あれから、流星がここへ帰って来るのを待ち詫びている。

昨日、一度だけ電話してみたけれど、流星は電話に出なかった。

正輝にも電話したけれど、流星には最近会ってないと言っていたから、秋子さんの所へは行っていない。

実家の母にも電話で訊くと、流星に会ったのは、二月になる前だったという。

流星自身、暮らしていたアパートも引き払ってしまい、ここ以外に行く当てがないと言っていた。

サチさんの所へも行ってなかったら…友達の所とか?ビジネスホテルとか…この寒い時期に野宿をする馬鹿な真似はしないと思うけど…

流星、無事ならいいの。

だけど、もしも本当に行く所がないなら、ここに戻って来てもいいんだから。

ううん──流星がここに戻れる訳ないわね…

私は彼の帰る場所を奪ってしまった罪を感じて、それからずっと、彼の身ばかり案じていた。

生理が来なくて不安だった気持ちもすっかり忘れて。



金・土・日と三晩経ち、四日目、3月9日月曜日の朝、輝美はリビングソファーから起き上がった。

結局ゆうべも帰って来なかった…電話もない。

流星が戻って来た時にすぐわかるようにと、輝美はベッドルームではなく、リビングで寝起きしていた。

『輝美、ご飯出来たよ!』

10日間、エプロン姿でキッチンに立った流星は、毎朝、輝美にごはんを用意してくれた。

夕飯も作って、掃除も洗濯もしてくれて…

そんな事を望んだ訳ではないけれど、流星が私を想って一生懸命してくれていた事に、感謝の言葉一つ言わずに追い出してしまった。

どこがあなたの事を想ってした事だったの?私の身勝手で流星を振り回しただけじゃない。

きちんと話せば良かった。結婚出来ない理由を話して、納得させて、流星が自らここを出て行きたくなる日まで、もう少し待てば良かったのに。

着替えた輝美は、洗面台に向かい、歯ブラシに手を伸ばした。

歯ブラシスタンドに残る、流星が使っていたブルーの歯ブラシ。棚を見ると、流星の電気シェーバーもあった。

ここに置き忘れてる…取りに来るかもしれない。ううん…こんなの、どこでも買えるわ。

身支度を整えた輝美は、溜め息を一つ吐いてから、自宅マンションを出て、会社に向かった。

カツコツカツコツ、規則的な足音を刻みながら、輝美の頭の中は妊娠した不安よりも、流星の無事を祈る事だけでいっぱいだった。

流星を追い出した罪悪感から、何をする気も起きない。

食欲もない──あれだけ欲しいと思っていた快楽も、今は要らない。

大事なのはあなたの人生。

流星、今どこで何をしているの? 無事ならいい。

私の傍でなくていいから、あなたには絶対にしあわせになって欲しい。





月曜日の夜。

輝美が会社を出ると、霧雨が降っていた。

通勤鞄から取り出した折り畳み傘を開いて、春雨の中を一人歩いた。

三月とはいえ、本当に寒い。輝美はコートの襟を立て、首を竦めた。

傘をずらして闇空を見上げると、外灯に照らされて、白い線のように降って来る細い雨が見えた。

『何やってんだよ、濡れる!』

流星の声が輝美の耳の中でだけ響いている。

「私はいいのよ、濡れたって。あなたは…」思わず呟いてしまった時、ぽつ、ぽつと、頬に冷たいしずくがぶつかった。

忘れていた寂しい涙みたい。

この二年間、独りだった。

流星が一人暮らしを始めた最初の頃は寂しくて、冷たいベッドに潜って涙を零した事を憶えている。

そして料理も、二人分ではなく一人分。作らずに惣菜や冷凍食品で済ます日が増えて行った。

この二年の間はカレーを一から作る事が無く、カレーパイは一昨日、二年以上振りに作った。それらを全部冷凍したけれど、私一人なら、毎朝食べても半月かかる。

流星…
胸が苦しい──あなたを追い出す位なら、私が出て行けば良かった。

私には実家がある。だけど流星には、実家と呼びたい場所は、多分私のマンションしかなくて、それなのに。

流星の事を、二度とここに出入り出来ない人に、私がしてしまったのね。

今、どこにいるの?寂しくない?
私は、寂しいわ。すごく後悔してる。
あなたに会えたら謝りたい。そして、カレーパイを二人で食べて仲直りしたい。

胸に溜まって熱くなった息を吐く。

傘を畳んで、雨に打たれ、頭を冷やしたい。だけど霧雨では、大して濡れないわね。

もうマンションは目と鼻の先だし。

マンションの前の公園内にぽつんとある外灯が闇の中で煌々と灯り、霧雨に煙る幻想的な光の輪を作っていた。

「綺麗…」

足を止めて呟いた輝美は、流星の言葉を思い出した。

流星は…私の事を思い出しているかしら?

もしそうだとしたら、と込み上げて来た切なさが胸に痞|《つか》えた。

はら、はら、はら…

輝美と同じく、雨の中で煌めく光を見上げる人影が、外灯の下のベンチに座り込んでいるのが見えた。

黒いナイロンパーカーのフードを被って、両手をポケットに突っ込んでいる。霧雨とはいえ、フードがぺたりと額に張り付いて、色も変わっている所を見ると、長時間ベンチに座り込んで居るのだと考えられた。

体格や靴から男だと遠目に判っただけで、フードが邪魔して顔ははっきりと見えなかった為、大体の年齢も検討が付かなかったが、不思議と恐い感じがしなかった。

長身のおじいさんかしら?夜間徘徊で家に帰れなくなってしまったとか?あ、でも隣に大きなスーパーの袋がドンと置いてあるから、買い物帰りの人?だけど変ね…雨が降っているのに、どうして帰らないのかしら?

不審に思った輝美が男を見ている時、突然、男はガクリと前に体を折り、膝の上に頭を載せて動かなくなった。

えっ、どうしたの?まさか、心臓発作とか?

輝美は慌てて、公園内の男の倒れているベンチ目がけて走った。

カツ、コツ、カッ…!

雨に濡れたコンクリートの階段はつるつると滑り、急ぎ過ぎてパンプスの踵を滑らせた輝美は危うく転倒しそうになったが、バシャッ!…片足をおよそ50センチ先の砂地に踏み込ませて、何とか堪えた。

あーあ、冷たい。パンツの裾が泥だらけ。でもそれどころではないわ!

あの人、起き上がらないでぐったりしたまま。これでは救急車呼んだ方がいいかもしれない。

バシャ、バシャッ、バシャ!

視界の悪い中、所々ぬかるみに嵌まりつつも、輝美は懸命にベンチを目指した。

視線で捉えている男は、ベンチに座った体を二つに折って動かない。

サアアア…

霧雨といえど夜、長時間その中にじっとしていれば、まだ三月初旬のこの寒さ──特に濡れた状態であれば、体温はどんどん奪われ、低体温症になってしまう。

心筋梗塞か脳梗塞を起こしていたら一刻を争う。

輝美は、座位で腿の上に上半身を伏せたままの男の右肩を叩きながら、大きな声で呼び掛けた。

「大丈夫ですか?聞こえますか?しっかりして下さい!今、救急車呼びますからね!」


輝美は男の上に傘を差しながら、バッグの中を片手で探った。そして、スマートフォンを手にした時、男が体を起こして、輝美を見上げた。

「コホッ、てる、み…」男の目は半分フードで隠されていたが、声ですぐに判った。
「流、星…?」輝美の心臓がギュッと、鷲掴まれたかのように苦しくなった。

嘘、何でこんな所に流星が…

「ゴホッ、ゴホゴホゴホッ…!」激しく咳き込んだ流星は、再び体を二つに折った。
「流星!」
「……」流星は動こうとしない──

輝美は流星に向けて伸ばした手を一度止め、ギュッと握り締めた。

サアッ、サアアアッ…

風が出て来て、雨はさっきよりも強く輝美の頬を打ち始めた。

どうするの?私。どうしたいの?

知らない人だと思っていた。 でも、倒れていたのは流星だった。

私が家から追い出しておいて今更…

…なんて考えている暇があったら、流星を連れて家に入りなさい!

輝美は自分の頭の中に響いたもう一つの声に、とにかく従う事にした。

「流星!行くわよ!」
「…どこに」

知ってるくせに──でも、流星の声は、まるで絶望を匂わせているかのように暗かった。

「家に決まってんでしょう?それとも起き上がれないなら、救急車呼ぶ?」強くなる雨風に焦り始めた輝美は、流星を急かす為に、脅すような言葉を発した。

流星が体を起こした。しかし、ベンチに座ったまま「ほっといて、いいよ……」輝美の方を見ずに絞り出した声は、風に消え入りそうな弱々しいものだった。

それまで流星を追い出した罪悪感でいっぱいになっていた輝美だったが、急に湧き上がった怒りで、それらをいっぺんに忘れた。

「ごちゃごちゃ言わない!ここに居られたらマンションの近隣住民の迷惑になるわ!家でたっぷりお説教するからいらっしゃい!」輝美は流星のフードの首根っこを掴んだ。

「やだ…行かない」どっしりと座ったまま、流星はベンチから腰を上げなかった。

「流星…」このまま放って置くという選択の出来ない輝美は困り果て、ついに後悔と謝罪の言葉を口にしようとした…その時、

「俺が、ゴホッ、輝美に、必要なら、行く、けど…」と、流星は右拳を口に当てながら言った。

「ひ、必要に決まってんでしょう?どうするのよ、あんなにカレー作って。私一人じゃ食べ切るのに半年かかるわ!カレーパイだって、冷凍庫占領して大変なんだから、責任取ってよね!」

「カレーパイ…作って、くれたんだ──俺も、食べたい」

“食べたい”

その言葉を流星の口から聞かされた時、輝美の心の中がぱあっと明るくなった。

ああそうか、そうだったんだわ、私は流星をもっと喜ばせたかったんだわ、とようやく輝美の心の中の靄(もや)が消えた。

「カレーパイ、食べたいなら、一緒に帰りましょう」

“一緒に帰る”という言葉を、輝美は意識して使った。

「うん──」

流星は気付いてくれたかしら。

私が、あんな風に追い出した事を今は反省して、あなたに許して欲しいと思っている事に。

玄関の中に入ると、靴を脱ぐ前に流星はガクッと膝を折ってしゃがみ込んだ。同時にリュックを入れている大きなビニール袋が、たたきの上に落ちてバサッと音を立てた。

流星は、そのまま玄関マットの上に両手をついて項垂れると、フードを外してある前髪から、いくつものしずくがポタポタと落ちた。

「流星、大丈夫?」
「ああ、うん、コホッ…帰って来れると思ってなかった。ゴホ、何だか、ホッとして、気が緩んだみたい」
「ずぶ濡れだから、とにかくお風呂に入って温まって。着替え、出しておくから」
「うん…」

フラフラと立ち上がった流星は、輝美に促されてバスルームへ向かった。


流星がシャワーを浴びている間、輝美は流星がここへ戻って来た理由を考えていた。

流星は、元気がないみたい。サチさんと仲直り出来なかったのかしら…行く所がないからマンション前の公園に居たの?或いは、私の事を許せず、怒っているだけ?

『家族だと思っている』そう言っておきながら、追い出した私。

今は、一時的に家に引き入れる形になったけれど『どうして戻って来たの?』と訊いたら、流星は『すぐにまた出て行く』と言うかもしれない。

二年前のように、私を置いて…一人で。

私が流星に『出て行って』と言ってしまったのは、流星から『出て行きたい』と言われるのを恐れたからかもしれないと、今思った。

ううん──頭の中で打ち消す言葉を考える。

流星が再びここを出て行くとしてもいいじゃない。また私と暮らしたとしても、いつか出て行く、それを考えたら、今、ここで区切る方がいいのよ。

子離れしなくちゃ。私、流星と暮らす事を考えるのは、もうやめよう。

独りが寂しいのなら、猫を飼おうかしら。ううん、それより観葉植物を増やすか、他のお宅でしているように、ベランダ菜園を作ろうかしら?

そうよ──カレーがなくなったら、流星もいなくなる、そう考えよう。

輝美は、洗濯機の前のランドリーラックの上に流星の着替えを置いた。その時、ガチャッ…バスルームのドアが開き、全裸の流星が輝美の目の前に立った。

あ…!
どきん!どきん、どきん、どき…

流星の腕が、輝美に向けてスッと伸ばされた瞬間、抱き締められると思った輝美は目を瞑り、同時に肩も竦めた。

バサッ、パサッ。
その音に輝美がそっと目を開けると、流星は輝美の背後のランドリーラックの上にあったタオルで、黙々と濡れた体を拭いていた。

タオルか、何だ…そうよね。もう私とはそういう事はしないって、私から言い出したのだし。流星はそれを守るわよね。

よかっ…た…

…ズキン。

え?ズキン?

ズキ、ズキ、ズキ──鼓動が、変な音を立てている。そして胸がパンパンに詰まっている感じ。

「流星、これ、着替え…」輝美は流星に着替えを手渡した。
「ありがと。輝美も濡れたでしょう。シャワー浴びて来たら?」
「う、うん…そうね。あ、その前に、流星ご飯食べた?私、用意してから」
「いいよ、今食べたくない。俺、リビングで着替えるから」

腰から下にタオルを巻いた流星は、輝美から受け取った着替えを抱えて、リビングへ向かった。

でも、びっくりした。久し振りに見ちゃった流星の裸に、まだドキドキしてる。一瞬、抱き締められるんじゃないかと身構えて恥ずかしい。

当然だけど、私があの体に触れる事はもうないんだ──この体を抱かれる事も二度と。

ズキン。

彼の伯母でなければ──という問題でもない。

齢が一回り違う。想像してみて、私が、流星と同い齢で昨年四月に入社した男性社員とどうこうってなったら、会社に居られなくなるわ。

今年36になる女と24になる男が結婚したとしても、長く続かないと思う。

四年後、私は40で流星は28…益々ないわ。

もうやめよう。流星に干渉するのは。心配しない。不安にならない。関係ない。流星の決めた通りにすればいい。

私の感情は消去しよう。

輝美はスーツを脱いでハンガーに干した。スラックスの裾が濡れている。クリーニングに出さなくてはと思った。

そしてシャワーを浴びた後、ベッドルームでパジャマに着替えた輝美は、濡れた髪をタオルで乾かしながら、キッチンへ向かった。灯かりの点いたリビングをカウンター越しに覗くと、ソファーの上に流星がうつ伏せで寝そべっている。

腰にタオルを巻いただけの、シャワーを浴びて出た時のままの姿だった。

「流星、何やってるの!」輝美は流星の元へ急いだ。

リビングは、点けた筈の暖房が切られ、ひんやりしていた。

「流星、起きて!ここで寝ちゃ駄目。それにそんな恰好で…風邪引くわ!」

声を掛けても起きようとしない流星の左肩を掴んだ輝美は、熱い!と、流星の体の異変に気が付いた。

「熱くて、動きたくないんだ…ゴホゴホッ!…さっきも、熱くて、雨に──」

ハァ…と息を吐いた流星の横顔を見ると、のぼせたように赤くなっていた。流星の首筋に手を当てて熱を測った輝美は、想像以上の熱さに慌てた。

「こんなに熱が…!どうして早く言わないの!起きられる?早くベッドへ行きましょう」

輝美は、ソファーに横たわる流星の腕を掴むと、体を起こそうと引っ張り上げた。

しかし、流星は輝美の手を振り解いた。

「いい…ゴホン、ほっと、いて…俺、を愛してな、いなら、触らな、いで…コホッ…」

「流星」

「やっぱ、コホッ、戻って来る…じゃなかった。輝美、の顔見たら、余計、辛くなった」

「ひ、酷いわね。人の顔見て辛いだなんて。体がしんどいからそう思うって事にしておくわ。ほら、頑張って立って。早く、ベッドに移るわよ」

「ほっ、といて。俺の事は、もう…構わ、ないで」流星は、ぷいと顔を背けた。

さっきは素直に家に入ったのに、何故急に…熱が上がって体が辛くなったからかしら…とにかく、このままじゃ駄目。ベッドに移して、お薬を飲ませなくちゃ。

「流星、愛してるわ。だからお願い、ベッドに行きましょう?」

「嫌だ。輝美の、”愛してる”は、俺の”愛してる”、と違う…伯母、としての愛、なん、だろ?」

「……」

私がもう何を言っても、流星は受け止めてくれないみたい。

少し悲しい。ここに来た時のような反抗期だと思えばいいのかもしれないけれど、今こうなってしまっているのは、結婚を断り続けている事と、あの時私が感情に任せて流星を追い出した事が影響していると思う。

いいわよ…だったらこうしてやる!

しゃがんでいた輝美はソファーの前から立ち上がると、突然パジャマを脱ぎ捨てた。

ショーツ一枚の姿になった輝美は、黙って見ていた流星に向かって「薬を飲んでから来て。ベッドで待ってるわ」と言いながら、ローテーブルの上の解熱剤とコップを指差した後、脱ぎ捨てたパジャマを抱え、リビングから出た。

ベッドルームに入った輝美はエアコンと加湿器を点けると、ベッドに潜り込んだ。

我ながらアホだと思う。こんな挑発しか思い浮かばなくて恥ずかしい。

掛布団に包(くる)まり、暗さに目が慣れて来た頃、少し冷静さを取り戻した。

流星は来ないかもしれない。それならそれでいいじゃない。心配するのはもうやめよう。

『愛してるわ』

あんな事、言わなくても良かったのに。でも言ったら、すっきりした。本当だもの。だけどこの齢になって、初めて誰かにそんな言葉を言うなんて。

子どもを産んだ人は、子どもに『愛してる』と言うと聞いた事がある。私には子どもがいない。でも、さっきのは、彼を自分の子どもだと思って言った訳じゃなかった。

さっきのは、彼を一人の男として──いいえ、だめよ。

ああ…私は、昔の恋人にも言わなかった言葉を、彼にとうとう言ってしまった。

──カチャッ、キィー…ベッドルームのドアがゆっくり開かれ、廊下から漏れる灯かりが線になり、輝美の居るベッドへも届いた。

目を閉じていながら光を感じた輝美は、ベッドの中でビクリと動いた。

パタン。ベッドルームのドアが閉められ、キシキシと床を軋ませる人の気配が近付いて来る。

パサパサッ…レースの天蓋を捲り上げ、ギシッ…ベッドの上に、輝美以外の人が横たわる。

ふうっ…少し辛そうな息を吐いた。

目を瞑っていた輝美が目を開けると、左隣に流星が仰向けで横たわり、両目に左腕を当てていた。

「流星…お薬飲んだ?」
「飲んだ」
「おでこ、冷やしましょうか?」
「いい。それ、より、輝美…コホッ、やっぱり、いいや」

咳込むのを我慢しながら途切れ途切れの言葉を苦しそうに吐き出した流星は、輝美に背中を向けた。服は着ていない。

「なぁに?何でも言って」
「…抱き、締めて」
「いいわよ。こう、でいいかしら?」

輝美は流星の背中に頬を寄せた。右腕を流星の体の前に回し、左手は流星の髪を撫でた。

「う…うう…っ…ふぅ、っ…!」小さく呻く流星の背中が小刻みに震えた。

泣いている。

「流星、辛いの?」
「辛い、よ。どうして、ゴホッ…俺じゃ駄目なの?…ゴホッ、年下だから?会社辞めるから?俺は、輝美と、ここで、家庭を…築きたい、だけなのに」

“家庭を築きたい”と聞かされた輝美は、流星が本気で自分と結婚して、ここでずっと暮らして行く事を思い描いていたのだと知り、結婚するという事以外は受け入れたいと思った。

「結婚は出来ないわ。それでもいいなら、一緒に暮らしましょう。私は独りでもいいと思っていた。でも、流星となら…二人でもいいわ」

「ぐすっ…それって、俺だけ特別って事?輝美と暮らせる人間は俺だけって思ってもいいの?」

「いいわよ。あなただけ。私と暮らせるのは、流星だけよ」

「てる…み…」

くるりと体を反転させ、向き合った流星の顔は涙で濡れていた。輝美は両手の指で流星の頬の涙を拭った。

流星の涙を初めて見た。ううん、男の涙を初めて見た。こんな風に、私を想って泣く人を初めて見た。

「う、うう…ううう…っ…」

輝美は、泣きじゃくる流星を抱き締め、流星の頬に頬を寄せた。

いつもより熱い体。熱に浮かされて、抑制していた感情が溢れ出てしまったのね。私は、こんなにあなたに想われていたなんて知らなかった。

「好き、だよ…」

流星…

掠れた声を発した流星の唇が、輝美の耳朶に触れた。そこからゆっくり首筋を下へ辿り、鎖骨を過ぎて、何も着けていない輝美の胸の谷間へ、流星の熱い吐息と唇が落ちた。

流星の両手は私の乳房を下から掬い上げ、上下に揺すった。だけど、疼く先端には触れないでいる。私の胸を包んだ流星の指先にゆっくり力が込められる。

「んっ…あぁっ…!」

上げないつもりだった声が口の端から零れた後、それを待っていたかの様に彼は、私の触れて欲しかった場所を口に含んだ。

ちゅ、ちゅうっ…熱い口内に含まれた胸の頂を、やわらかくてざらりとした舌で舐(ねぶ)られ、久し振りに与えられた体の中芯を貫く痺れに、ぶるりと震えた。

は…っ、あっ、流星の口の中、熱い…胸、吸われるの、キモチ…イイ……

甘えるように吸い付きながら、流星の舌先は輝美の鋭敏な部分を吸いながら、絶えず舌の上で転がし続けた。輝美は胸の上にある流星の頭を両手で包みながら、母親のような気持ちにもなっていた。

今はこうして甘えてるけれど、もう男の子じゃないわ…こんなに逞しく立派な男になって──私がいなくても一人で生きて行ける…ワタシガイナクテモ──

あなたは私より先に、二人で暮らす喜びを感じ取っていた。それは、父親と母親、弟のいる私には当たり前のような事も、あなたにとっては特別だった。

感じた相手が私だったという事は申し訳ない気持ちだけれど、私にとっては光栄な事だわ。一人で暮らして、独りで終える筈だった私の人生を、あなたは必要としてくれて、そして二人で暮らす喜びを教えてくれた。

怖くなっていたんだわ。二年前のあの時のように、あなたと離れる事が。

でも、言えない──私から離れて行かないで、とは言ってはならない。あなたはもう、私から離れるべきなの。私もこれ以上、胸の中をあなたでいっぱいに埋めてしまうのが怖い。

あなたが私の許を離れて行く日に、どうなってしまうのかと考えると怖いの。

「ごめん…」流星は突然謝ると、輝美の体から手を離した。

「どう、したの…?」怖いなんて思ってしまったからかしら?

「輝美に、風邪、移るといけないから…ゴホゴホゴホッ!」

「今、お水持って来るわ。待ってて」

「ありがとう…」

輝美はパジャマを着て、キッチンへ立った。コップに氷水を用意した後、冷凍庫から出した保冷枕をタオルで包み、濡れタオルも用意した。

リビングに置きっ放しだった流星の着替えも持ってベッドルームへ戻った輝美は、ルームランプを点けた。

ぼんやりと灯る灯かりの中で、流星の熱に浮かされた赤い顔を見ると、とても苦しそうで、胸がギュッと締め付けられる。

輝美は流星の体を起こして、持って来た氷水を飲ませると部屋着を着せた後、横にならせた流星の首に触れるように保冷枕を敷き、おでこに濡れタオルを載せた。

輝美は一晩中起きていて、流星がうなされる度、水を飲ませたり、着替えを手伝った。

明け方、ようやく流星の熱は下がり、呼吸も楽になっていた。

ホッとした輝美は、ベッドに凭れると、床の上に膝を折ったまま、眠ってしまった。

「輝美、ゴホ、こんな所で、寝たら、風邪、引く」流星の声がした後、目を開く前に体が揺れた。

ふわりと浮いて、ぽすんと着地した。ここは…?と目を開いたら、天蓋の内側が見えた。

ベッドの上だわ。部屋の中は明るい。朝…の筈なのに私の周りだけ暗いのは、流星が上に覆い被さって影を作っているから。

キシッ…

輝美は、自分の体の上で両腕を突っ張って真っ直ぐ見下ろして来る流星の視線に戸惑いつつも、ゆうべと違って元気になった様子が何より嬉しくて、微笑みながら口を開いた。

「体、大丈夫?辛くない?」流星の頬を撫でた手を掴まれた。

「輝美の、おかげで、大丈夫…ゴホッ。喉はまだ、だけど…コホッ。輝美こそ、手足冷たい…俺の看病で、コホ、ずっと、起きてたんだろ?」

流星はまだ少し熱く感じる手で、私のおでこを撫で上げた。

「ううん、寝てたわよ」そんなにじっと見ないで…

「嘘つき。ほら、早く寝て」もしかして、私の目の下にクマが出来ていたかしら?

「私はもう起きる時間よ。お腹空いたんじゃない?おかゆ作って来るから」

「俺が、やる」

「だめよ!流星は寝てて。私が」

「じゃあ、一緒に、寝てくれるなら、寝る」

「そうは言っても、私、今日は仕事だから、そろそろ支度しないと…」

「10分、だけでいい…お願い!」

「わかったわ、10分だけね」

こうしてて、と流星は私の体を両腕で包み込んだ後、おでこにキスをした。

あったかい──流星の腕の中は、安心出来る。

何があっても離さないでいてくれる──今だけ、そう思っていてもいい?

10分だけ、あなたに愛されている女で居たい。







あれ…10分、過ぎた?流星…?

眩しさに目を開いた輝美は、目覚まし時計を見て青ざめた。

──今、えっ?!嘘!…お昼12時前?!さっきベッドに潜った時は、確か6時過ぎだったから、あれから6時間近く眠っていた?

10分って言ったのに!流星はどこ?

輝美はガバッとベッドの上に身を起こした。

ズキッ…少しだけ頭が痛い。

今日は確か火曜日。会社、どうしよう!無断欠勤なんてした事なかったのに。

ああ…もう、最低。携帯電話はリビングだわ。確か鞄の中に入れたまま。早く会社に連絡しないと──

輝美がベッドの上から動かしたつま先を床につけると、ひやりと冷たい感覚が体に伝わった。

何だかいつもより寒気がするし、怠(だる)い。流星は、どこへ行ったの?

ガウンを羽織った輝美は、ふらつきながらリビングへ向かった。

リビングへ入った輝美は、流星の姿を探した。

いない──

慌てて荷物を置いていた部屋を覗くと、流星がゆうべ担いでいた黒のリュックがなくなっていた。

トタトタトタ…!輝美が玄関へ急ぐと、そこに流星の靴はなかった。輝美は床に崩れるように座り込んだ。

流星は、出て行ってしまった…また私を置いて、二年前のように。

ズキン! 頭が痛かった。胸がムカムカして吐き気もした。下腹部も重く、全身が怠い…

輝美は、床の上に折った膝の前に両手をついた。

涙が溢れて来る。追い出す前とは違う気持ち…行かないで、まだここにいて。

私、あなたにまだ──

「わぁん…あん、あん…!」

声を上げて泣いたのは、いつぶりだろう。流星は今度こそ、戻って来ない。私が結婚を受け入れていたら、あなたはここに居てくれたの?

でも結婚は出来なかった。したくても出来ない…私、流星と結婚したかったの?

いいえ、そんな筈ないわ…私はずっと独りでいると決めていた。ただ、一緒に暮らしたい人は?と訊かれたら──流星以外いない。

独りか、流星と二人かのどちらか。

ぐすっ、ぐすっ…また忘れるのに一年かかる。ううん、もっとかしら…

半月も経たない内に出て行くのなら、戻って来ないで欲しかった。私の気持ちを掻き乱すだけ掻き乱して、こんな形で居なくなるなんて。

「バカ、黙って出て行くなんて、ばかばか、流星のバカーっ…!」

涙と鼻水塗(まみ)れの顔で輝美は、玄関の床にうつ伏せに倒れ込むと、力の抜けた両手と両足で床をドンドン叩いた。

その時、カチャ、ガチャン!玄関ドアの内鍵が動いた。

え?

ガチャッ、キイー。ノブが動き、ドアが外側に引っ張られて開いた。

ええっ?!

「ただいま。輝美、今、俺の事呼んだ?」

玄関ドアを開けて入って来たのは流星だった。

「りゅ…え?なんで…」輝美は慌てて、濡れている目元を指で、鼻の下を手の甲で拭った。

内鍵を掛け、スニーカーを脱いだ流星をよく見ると、スーパーのビニール袋を左手に持っていた。

「卵切らしてたから。他にも色々買いにそこまで。輝美こそ、どうしたの?何かあった?」

キッチンへ向かう流星の後ろを、輝美は涙の痕の残るであろう顔を隠して歩きながら、出て行ったと早とちりして泣いてしまった恥ずかしさを堪え「何でもないの…それより流星、まだ風邪が治ってないでしょう?」平静を装って訊いた。

「もう熱下がったから平気」流星はキッチンで手を洗うと、冷蔵庫に食材を放り込んだ。

「駄目よ!ご飯なら私が作るから、早くベッドに横になって。お薬は飲んだの?」

流星は、くすっと笑って「輝美は俺が風邪引くと、普段より数万倍やさしくなるよね。じゃあ、甘えよう。コート脱がせて」とリビングに移動し、横に両手を開いた。

輝美が流星のコートを脱がせて。0クローゼットのハンガーに掛けていると、流星は輝美を背後から抱き締めた。

ふー…と、輝美のうなじに、流星の熱い息が掛かった。

どきっ!

「こら、流星、駄目よ。そうだ!あのね、荷物どうしたの?どこにあるの?」

輝美は抱き付かれたまま歩き、流星と一緒に何とかソファーに座った。

「荷物って?ああ、リュックは昨日の雨で濡れたから、洗って干してる。ベランダに」

輝美がベランダに目を向けると、確かに黒いリュックが干してあった。はむ…流星はリュックに気を取られている輝美の耳朶を唇で挟み込んだ。

何だ、そうだったの。てっきり流星が出て行ってしまったかと思って、私…

ホッと息を吐いた輝美は、ローテーブルの上に置かれた自分のスマートフォンを見て「あっ!」と声を上げた。

「何?」驚いた声と共に肩を跳ねた輝美の耳朶から、流星は唇を離した。

「会社…無断欠勤しちゃった!どうしよう。電話、しなくちゃ…」

時刻は13時を過ぎていた。慌てる輝美の手から、流星はするりとスマートフォンを奪った。

「それなら俺が朝、電話しといた。スマホの電話帳に入ってた[会社・広報部]に。始業時刻前だったけど男の人が電話に出てくれた」
「男の人?名前は?」

うーん確か…と流星は顎に人差し指を付けた。

「カシュさんって人いる?」
「歌手さん?えっと、加集さんかしら?」

「ああ、確かそんな名前。『塩谷さんのご家族ですか?』って訊かれたから『はい』って言っといた」
「それだけ?」

「ん?『一応、お名前を伺ってもよろしいですか?』って訊かれたから『塩谷流星です』って答えたら『ご関係は?』って訊くから、配偶者ですって答えたかったけど、嘘はいけないと思って『一緒に暮らしてる甥です』って我慢して答えた。偉い?」

流星はヒラヒラと振ったスマートフォンをローテーブルの上にことんと置いた。

「……」我慢って、あああ…もう!村井部長代理じゃなくて良かった。

「好きだよ、輝美」
「何、言って──」

「おばさんとしてって意味だよ」
「あ、ああ…そう」

「嘘」ぺろっと舌を出した流星は、輝美の腕を掴むと、ソファーの背凭れに輝美の体を押し付けた。

「えっ?」



※続きはこちら mecuruTL「近男 -Kindan-」(R-18)
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碧井 漪

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