先輩の好きにしていいですよ? -女子大生Mの恋愛事情- 128
ふいに、夢野の瞳から涙が零れた。
「嬉し涙?」
気付いたカイトがふざけた顔で、俯く夢野の顔を下から覗き込んだ。
「バーカッ・・・グスッ!」
「きたねーなぁ。鼻水拭けよ。」
「・・・・・・」
正座する夢野の腿に、カイトは頭を乗せた。
「あー、ついでに耳掻きしてよ。」
「耳掻き?ここには無いでしょ。」
「どっかにある。」
「じゃあ、持って来てよ。」
ふいに、夢野の瞳から涙が零れた。
「嬉し涙?」
気付いたカイトがふざけた顔で、俯く夢野の顔を下から覗き込んだ。
「バーカッ・・・グスッ!」
「きたねーなぁ。鼻水拭けよ。」
「・・・・・・」
正座する夢野の腿に、カイトは頭を乗せた。
「あー、ついでに耳掻きしてよ。」
「耳掻き?ここには無いでしょ。」
「どっかにある。」
「じゃあ、持って来てよ。」
「つまり、ユメが薬で眠らされている間、別の夢野が取って代わってる。それで、その別の夢野は、元々の人格ユメを消そうと躍起になって居る。戻される時は、ユメの力が必要なピンチの時だけ。痛かったり苦しかったりする時だけ。」
「何が言いたいの?」
「昔見たテレビで、自分のカラダを”悪霊”に乗っ取られるコワーイ話があったなあなんて。それが現実に俺の身に起きるなんて思ってもみなかったよ。」
「先輩が”悪霊”だって言うの?」
「俺にとってはね。アイツにとっては、俺が”悪霊”だから、祓いたいって言うんだろ?けどさ、元々は俺のカラダな訳で、今もだけどさ。」
カイトの寂しそうな表情に、夢野の胸がグッと締め付けられた。
────そうよね、カイトからしたら理不尽なのは分かってる。だけど、薬で抑えないと、見境なく女を襲い掛かるから仕方がないのよ・・・・・・って、あれ?今、私に襲い掛からない?
「さっきは飲まなくてもいいような事言ってたのに・・・そんなに俺が”憎い”んだ?」
バサッ・・・
カイトの言葉に動揺した夢野は、机の上にあった本を落とした。
────『俺を”憎め”』って、先輩言ってたのは、こういう事?カイトに何を言われても無視して、薬を飲ませて先輩に戻せって意味だったの?ううん、ううん、そんな酷い事を先輩が考える筈が・・・
「答えないって事は、図星かあ。ユメもみんなと同じくアイツが好きなんだな。」
「だから、それとこれとは・・・また入れ替わればいいじゃない。一時的でもいいから、先輩を出してよ!」
夢野は必死だった。何とかして、快人と話して、この入れ替わりの解決策を見つけたいと考えて居た。
「そうやって、俺を騙して眠らせて、アイツと組んで、一生俺を封印するつもりだろ。嫌なこった。」
「そんな事しない。約束する。カイトが出て来られるようにする。」
「約束って、何を以って?どうやって?」
「俺に気を遣わなくていいよ。アイツとの付き合いの方が長いだろ?」
「馬鹿!元々はアンタの体でしょう?」
カイトは驚いたような顔をした後、ふふ、と笑った。
「何?俺を”好き”になった?それとも可哀相だって”同情”の方か?」
「ど・・・」
どっちも違う!と叫ぼうとした夢野を遮って、
「疲れたから、寝るよ。服乾いたら、着替えて帰れ。」カイトはリビングに夢野を残し、自室に入った。
一人取り残された夢野は、これからどうしようと、ぼんやりしながら部屋の中を見回した。
部屋の中を染めて居た朱い陽の色が宵闇へと移ろい始めた。
まるで、快人からカイトに代わるように。
ザアアア・・・キュッ。
ちゃぽん。
夢野が冷え切った体を湯の中に浸けると、温度計は41℃を指して居るのに、とても熱く感じた。
ほんわかと湯気に包まれて、普段ならいい気分になれるのに、カイトと快人の事を考えずには居られない夢野の気持ちは、暗く沈んで行った。
しかし、カイトは夢野の予想に反して、
「洗濯して、乾いたらそれ着るしかないな。ここに居る間は俺の服で我慢しろ。」と言った。
風呂場に向かおうとするカイトの背中に夢野は放った。
「ねえっ!」
「何だ?」
「あの、お風呂って、一緒に入るの?」
「ユメがどうしても一緒に入りたいなら。だけど、ウチのはラブホの風呂みたいに広くないから二人で無理だな・・・って、何その顔。残念?俺と二人で入りたかった?」
「ち、違うってば!」
────あ、この道知ってる。先輩の家の近く。
陽は西に傾いて、もう少ししたら街を朱く染めるだろう。
カイトの歩幅に合わせて歩く夢野の足は、本当はヘトヘトに疲れて居た。
しかし、登山に比べたら大した道のりではない。
夢野の分の荷物もカイトが担いで居る為、山中を歩いて居た時より楽な筈だったが・・・夢野の息は荒くなった。
「疲れた?もう少しだから、頑張れ。」
振り向き、気遣うその姿は、夢野のよく知る快人そのものだった。
臙脂の瓦屋根の大きな邸の、カイトは南にある表玄関ではなく、北にある裏の勝手口に回り込んだ。
北側で狭く、陽の当たらないジメッとした場所で、葉が落ち、枝だけになった大きな木があった。
表に似つかわしくない近代的な金属製のドアはとても違和感があり、夢野の謎を益々深めた。
────本家は分かったけど、納品って何を?薬?ああ、先輩のお母さんが薬局を開いて居るから?だけど何で今?しかもカイトのまま納品?急ぎなのかな?
カイトは慣れた手つきで鍵を開けると、振り向いて夢野に言った。
「すぐ戻る。ここで待ってて。」
夢野が返事をする前に、カイトは建物の中へと消えた。
カイトは裏?で、先輩が表?、
カイトは夜で、先輩が昼、
カイトは女好きで、先輩は女好きではない、
カイトは体育会系で、先輩は理系、
カイトは本能的で、先輩は理性的。
どっちが好き?どっちが嫌い?
分からないよ、そんな事・・・・・・
「俺の女にしてやるって言ってるのに不満かよ?じゃあ別にいいぜ?お前よりもっといい女引っ掛けるから。」
「そ、それはダメ!」
「そんなの俺の勝手だろ?」
「ダメ!」
「お前ほんとバカだよなあ。そういう時は、”ダメ!”じゃなくて”ヤダ!”って言うんだよ。言ってみ?」
「・・・ヤ、ヤダ。」
「もっと可愛く素直に。”カイトは私の!他の女の所に行っちゃヤダヤダヤダー!”って。そうしたらユメと付き合ってやるよ。」
「そ、んなの、言える訳ないでしょっ!」
「え、だから、何が?」
コップを持つ夢野の指先は震えた。
それでも快人に頼まれた薬の事は明かさず、惚け続ける夢野に対し、カイトは大きな溜め息を吐いた。
「ユメ、分かってないよ。どうしてアイツの言う事を信じて、俺を信じない?」
「それは・・・」
「付き合いが長いからって言いたいのか?アイツの事を何も知らないくせに、どうして信じる?」
「あんたの事より知ってる!」
そうは言ってみたものの、家族の事や、薬の研究の事など、カイトに聞かされるまで、夢野は何も知らなかった。
「嘘だ。俺の方がアイツを知ってる。悪いけど、ユメの知ってる事は、アイツの”表に出したい部分だけ”だよ。」
カイトに言われて、夢野の背中がゾクリとした。
カイトの話は、夢野の考えの及ばない話で、にわかには信じがたかったが、辻褄は合って居た。
本当の話なら、夢野に出来る事は何もなく、関わらない方が快人の為になるとも思えた。
────信じたくない。だけど、もしも本当なら、このままトラウマを消す治療をしたら、先輩の方が消えてしまう・・・・・・?
夢野の体は随分温まった筈なのに、まるで凍えて居るかのように、全身がガタガタと震えた。
今すぐ快人の口から、『ヤツの言う事は嘘っぱちだ。信じるな』と聞きたかった。
────先輩が”消える”なんて”嘘”よね・・・怖い、二度と会えなくなるかもしれないなんて・・・お願い、先輩、今すぐ出て来て!
でも、どうすればカイトから快人にチェンジ出来るのかと考えた夢野は、ハッと思い出した。
ブラジャーの中に隠したピルケース。その中に、快人から託された薬があった。
「そんな事言ったって、先輩の体好きにしたら、怒られるわよ?」
「これは、俺の体だっつーの。まったく・・・いつもいつも好きにヤッてくれてんのは、アイツの方だからな?俺は被害者。こんな山に来る時だけいつも、うっすーく、意識引っ張り出されて迷惑だ。おかげで、女の子いっぱいの学生生活とは無縁になっちまいやがってさあ・・・ほんと、そこの所が分かんねぇ。枯れてるアイツは何を生き甲斐として生きてるのかってな・・・生き甲斐・・・・・・ん?あー、分かった!そーゆー事か!」
カイトがようやく腑に落ちたという風に、顔を輝かせた。
「生き甲斐が分かったって、それは何?先輩が好きにヤッてるって・・・どういう意味?」
「ふうん、アイツの好きにヤッてるコトが気になる?知りたいなら俺が教えてあげようか?」
「ねえ、どうしたの?ここを下りて行けば、駅まで行けるんでしょう?」
駅までの距離を考えると、足が怠くなりそうだったが、カイトに負ぶって貰った事で少し体力を回復して居た夢野は、頑張って歩こうと気合を入れた。
雨はまだ降って居たが、道路の両脇に並ぶ木々が、トンネルの如く枝を伸ばし、遮って居た。
カイトは、まだその場で、車の中を覗き込んで居る。
「ちょっと、まさか・・・」
車の鍵を壊して、盗もうとか考えて居るのではないかと危惧した夢野が、カイトがポケットから取り出した金属片を鍵穴に挿し込もうとして居るのを止めた。
「駄目よ!他の人の車を壊したら駄目!」
あと少しだぞ、とカイトが言った後、「うん」と小さく返事をした夢野にカイトが訊いた。
「ユメはさー、俺のどこが好きなの?」
「へっ?」
「だからさー、カタブツの方。絶対”俺”の方がイケてるのにさあ、こんな山まで追い掛けて来ちゃう程好きな所。」
「さあ・・・?」
「はぁ?なんだそれ!ちゃんと言えよー!」
「そんな事言われても、分からないから。」
────先輩の”好きな所”?訊かれても分からない。顔?性格?体?セックス?・・・顔は普通かな、性格も普通だけど人格が入れ替わる、体は怪力な点は便利、セックスは激し過ぎるけどイイ・・・ああ、これって”好き”って基準で測れない事案だと思う。そもそも”恋”じゃないのかも。
「じゃあ、俺とアイツ、どっちが好き?」
「さっきの威勢はどうした?」
「私は平気よ!先に行って。」
「道、分かんねぇだろ?」
「アンタは分かるの?」
「お前さあ、さっきからアンタアンタって、俺はお前の旦那じゃねーっつーの。名前で呼べよ。カイト様ってな?」
「はああ?アンタこそ、私の事、気安く”お前”って呼ぶくせに!」
「あいつは”松田”って呼んでるんだろ?俺もそう呼ぼうか?うーん、いや、そうだな、ユメって呼ぼう。」
「は?」
「決まりだ。ユメ、凍え死ぬ前に行くぞ。」
「え・・・」
カイトは夢野を再び負ぶって、真っ暗な森の中へと歩き出した。
ドドッ、ガラガラガラ・・・!
足元が大きく揺れたが、すでに夢野の体は後ろから捕えられ、後ろに倒れ込んで居るカイトの体の上にしっかりと抱き留められて居た。
揺れが収まり、轟音のした方に目を向けると、
「・・・・・・!」声も出せない程の衝撃的な光景が広がって居る。
上方から雪崩れ落ちて来た大小様々な岩が、積み重なって行く道を塞いで居た。
「雨で地盤が緩んだんだな。まさかこの程度の雨と風で崩れるとは。」
カイトも驚いたように言って、珍しく溜め息を吐いた。
あと少し、カイトが夢野の体を引っ張るタイミングが遅れて居たら、間違いなく、夢野は落下して来た岩盤の下敷きになって居ただろう。
一度ならず、二度までも、夢野は命の危機を快人に救って貰う事になった。
この程度の事で震えて動けなくなってしまう非力な自分が情けなくなり、夢野は泣き出した。
「怖かったのか?よしよし。」
「ふうん。お前も好きなんだ。アイツの事。相思相愛ってやつか。青春してくれちゃってんねぇ、勝手に俺の体使ってさぁ。」
────悲しい事に“相思相愛”ではないけれどね。アンタだけの体じゃないでしょ!って言ってやりたかったけど、ご機嫌損ねてもいけないから、黙って居よう。
「面白くねぇなあ。」
そう言って、カイトは夢野の手を離すと、その場にドカッと座り込んだ。
外の雨は、今少し落ち着いて居る。しかし、いつ強くなるか分からない。夢野は今の内に下山してしまいたかった。
「じゃあ、面白い事をしに、早くホテル行きましょうよ。」
「“面白い事”ってナニ?」
「何って、ええっと・・・」
「具体的に言ってくれないと、俺はアイツと違ってバカだから分かんないなあ。」
「顔、真っ赤だぞ。こんなクソ寒いのに、熱でもあるのか?ああ、分かった。大好きな俺に会えて嬉しいのか。そーかーそーか。」
────自信過剰!気持ち悪い!先輩と正反対!
「馬鹿!違う!あんたの事なんか好きじゃないから!」
「へえー、そう。この前の時は、蕩けた顔で俺にしがみ付いてたのに?」
「・・・・・・っ!」
夢野は奥歯を噛んだ。堪え切れない程の恥ずかしさと悔しさが込み上げた。
────最低!こんなヤツに抱かれて善がって居たなんて、一生の恥。先輩の言う通り、コイツは女なら誰でも良いって言う、女の敵!ただセックスが巧いってだけのサイテー男!
二人は支度を済ませ、いつでも発てる状態になった。
雨と風は少し落ち着いて来て、日没まで二時間を切った。出るなら今だと考えたのは夢野だけではなく快人もだった。
「松田、そろそろ抑えが利かなくなって来た。」
薬の効き目が切れると理解した夢野は、うんと頷いた。
快人は夢野の手を握った。
どきりして顔を上げた途端、快人は夢野と向かい合い、背中に腕を回すと、ギュッと抱き締めた。
そして夢野の耳元で
「先輩、薬が切れるのはいつ頃ですか?」
「さっき、松田に脚を蹴って貰った時に、痛みを感じなかった。多分、もうそろそろだと思う。」
「じゃあ、ここを片付けて、いつでも出発出来るようにしておきましょう。」
「松田、頼むな。」
「薬の事ですよね?分かってます!」
「それとは別に、絶対に体を許さないで欲しい。ヤツは何とかして松田をいいようにしようとして来るだろう。だけど、最後まで抵抗して、逃げ切って欲しい。いいか?ここを脱出して薬を飲ませたら、ヤツから離れろ。危険だ。絶対に騙されるな。」
────先輩は、もう一人の人格を嫌ってる。確かに、自分の抑えの利かない所で、次々女を襲われたんじゃ、堪らない。もしかして、昨日、女子更衣室で野島先輩とエッチな事をして居たのって、ヤツの方?
夢野は、手中にあるピルケースをしまおうと、快人と同じように胸元に手を入れた。しかし着用中のタートルネックセーターにポケットは無く、仕方がないのでブラジャーの谷間に押し込んだ。
「それと、かわし方なんだが、完全に拒むのではなく、”あとで”と引き延ばして欲しい。ここを脱出したら”しよう”と、嘘で釣って欲しい。」
「えっ?”嘘で釣る”?」
「もしも、ここでこの前の夜のように松田に襲い掛かって精気を使い果たしてしまったら、普段の俺に戻る。そうしたら脱出は絶望的だ。二人共ここで死ぬかもしれない。」
「えっと、だけど、ここで二人共死ぬのを、もう一人の先輩だって望まないんじゃないですか?そうしたら脱出するのに力?を貸してくれるかも。」
「先輩、”もう駄目だと思ったら”って、どういう事ですか?」
────トイレが我慢出来ないとか?確かに、お腹下しそうな程、物凄く寒い。
快人は夢野の顔から視線を外すと、離れた所に腰を下ろした。
そして、立てた膝の上に置いた手に額をつけ、まるで祈るような横顔を夢野に見せながら、ゆっくり口を開いた。
「俺が理性を失って、松田に襲い掛かろうとしても、絶対にかわしてくれ。」
「・・・え?」
────今、先輩、なんて言った?私に”襲い掛かる”って?
「いいか?知って居ると思うが、俺は”二重人格”だ。もう一人、俺の理性の届かない人格が居る。この前の夜、松田を襲った人格だ。」
「”二重人格”?それが先輩の”知ったら逃れられない秘密”ですか?」
野島の名前を出した途端、機嫌の悪くなった夢野を見た快人は、まずいと焦って、夢野の知らない秘密を口にした。
「あー、だから、野島先輩の相手は、住田教授だよ。」
「スミダ教授って、あの、研究室の・・・准教授?」
「そう。野島先輩が卒業して、住田准教授も四月から教授になる事が決まったから、結婚してもいいだろうって事で。」
「ええーっ?」
────野島先輩が結婚?遊び人と噂の絶えない女が、教授になる人と結婚?でも確か、野島先輩と教授は齢が一回り以上違うんじゃない?今年25になる野島先輩と、四十代の教授・・・まあ、うちの両親も一回り違うから、そんなにおかしな事ではないけれど。住田准教授はどこにでも居るって感じの中年男性。眼鏡は掛けて居るけれど、イケメンでもイケオジでもない存在感の薄い男性。顔では美人の類に入る野島先輩が選びそうな人ではない。どちらかというと、野島先輩の相手には快人先輩の方が似合う。それに野島先輩は快人先輩に何かとちょっかい出してたし、だから誤解もしたんじゃない!そうよ!誤解しなければ、こんな所に来て、告白まで・・・って、そうだった、何だかおかしな気持ちになって、うっかりな言葉を吐いてしまったけれど、取り消し出来るかしら?
────ドキドキドキ・・・これが告白ってやつね?変じゃなかったかなあ?だって、初めてだし、今まで興味なかったから、よく分からないんだもん。
夢野は息を詰めながら、快人の返事を待った。
「ああ、マジか・・・」
ガッカリしたような声、そして夢野が快人を見ると、口に手を当て、困惑して居た。
しかし快人の耳と頬、首まで真っ赤で、夢野は首を傾げた。
────どっちなの?と訊きたいのはこっちの方。先輩は私の事を本当はどう思って居るの?麗ちゃんも野島先輩も、快人先輩は私に気があるような言い方をして居たけれど、いざ先輩と二人きりになっても、甘い雰囲気なんて、この前の夜と、今ちょっと感じた位で、皆無だから、不透明・・・・・・
「松田、俺の脛を思いっきり蹴飛ばせ。」
快人とは離れて座って居た筈なのに、夢野が気付いた時、その腕の中に居た。
快人の腕の中は暖かく、そして夢野の中に再度喜びを齎した。
────私は先輩にとって迷惑で厄介な存在だから、拒絶されるのは当然、と思って居たけれど、私本当は辛かったんだわ。今更、先輩に好かれたいだなんて口に出来ないけれど、でも、叶うならもう少しだけこのまま、先輩の腕の中に抱き締められて居たい。
夢野は、自分を包む快人の腕に縋った。すると、快人は夢野の頭をやさしく撫でた。
────この人は、泣いた後輩を、ただ慰めて居るだけ。それ以上の気持ちはないのだから期待しては駄目・・・なんだけど、あったかい・・・このまま時が止まればいいなんて非現実な事、初めて思った。先輩、どうにかして私の事を好きになってくれないかなー。先輩が記憶喪失になって、出逢いからもう一回、今度は可愛く迫れば、先輩は私の見た目に騙されて好きって思ってくれないかな・・・あーあ、「こんなに先輩が好きなのに・・・」
「確かに俺には他人に知られたくない秘密がある。」
「どんな?」
「それを知ったら、俺から逃れられなくなるよ。松田の一生を棒に振らせる事になる。」
「一生って・・・」あははと笑い飛ばしたかった夢野だったが、いつにない快人の神妙な顔つきを見ながらでは、笑えなかった。
「この先は、嫌だと思った時点で逃げろ。俺を殺してでも。松田なら出来るだろ。」
「先輩を殺すって、何を言ってるんですか。私に何の得があるって言うんですか。」普段通り放ったつもりの夢野の声は震えて居た。
「そんな顔するな。そうなった時は、俺の方から消えるから。」
しきれない反省と、恥ずかしさと、後悔が夢野の瞳を苛んだ。
零れた涙に気付いた快人が、
「どこか痛いのか?」と夢野に訊ねた。
────理想は、冷酷な男だった。こんな時、”死にたいのか?一体何をしてるんだ?馬鹿な女だ”そんな言葉を吐いて嫌味に笑うような・・・だけど今、それをされなくて良かったと思うなんて、どうしてなのだろう・・・・・・
夢野が首を横に振りながら絞り出した言葉は、
「ほん、とうに・・・っ、ごめ・・・なさい・・・・・・」だった。
「謝らなくていい。」快人は隣から、夢野の頭に手を置いた。
「・・・・・・」夢野は益々涙を零しながら、首を横に振った。
洞穴の中へ入ると真っ暗だったが、快人が懐中電灯で照らし、雨風の届かない奥へと向かった。
やっとの思いで辿り着いた洞穴の中は、少し暖かく感じる。
更に奥へと促され、向かうと木製のテーブルとベンチがあった。その隣に、畳が敷かれ、上に毛布があった。
「点くといいけど・・・」
快人は奥にあるアンティークなストーブにマッチで火を点けた。少し明るくなったが、それでも暗い。
こんな洞穴の中で焚いたら、煙を吸ってしまうのではないかと不安になったが、よく見るとストーブの後ろ側から、上部へ丸い管が出て、その先は洞穴の壁に突き刺さって居た。
「あの管、煙突ですか?」
「そう。俺も利用するのは初めてだけど、多分まだ使えると思う。」
そして快人はテーブルの上のランプにも灯かりを灯した。
洞穴の中が明るく、暖くなって行くと、夢野の緊張も解け始めた。
人生を、線路上を走る列車に例える話を聞くけれど、
真っ暗なトンネル、それを抜けるまでの間、
息が苦しくて、一つ通り過ぎて、
忘れた頃にまたトンネルを潜る。
いくつもいくつも、何度も何度も。
その度に苦しくなって、車窓から身を投げて、
終着駅に辿り着く前に、この旅を終わらせたくなってしまうんだ。
旅の仲間は、一人であったり、大勢であったり、
信じたり、疑ったり、
楽しいだけではなく疲れたりもする。
旅を楽しむ余裕もなく、眠ったまま終わらせたい日もある。
事故や病気で旅を終える事になるかもしれない。
それでも終着駅を目指すのは何故かと悩みながら、
列車は今日も走って居て、
目の前には、俺と同じく、
終着駅の存在を疑う人が居る。
もうあと幾つ、トンネルを抜けなければならないのか、
このトンネルを抜ければ、この先はもうトンネルはないのか、
あっても苦しくはならないのか、
知りたがって居る。