乙女ですって 171 (R-18) 結婚したい人したくない人
Posted by 碧井 漪 on
恋愛小説(オリジナル) |
「はーっ、くしょん!」安藤隆人はくしゃみをした。
時刻は23時過ぎ、灯かりを落とした自宅マンション北側の7畳洋室で独り、フローリングの上に敷いた煎餅布団に包(くる)まる身を縮こまらせていた。
舞とはなが来るまで、物置としてしか使用していなかったこの暖房器具もない部屋は現在、舞とはなの衣類や雑貨を入れたプラスチックコンテナが積み上げられ、半月前までは舞とはなが眠る時に使用していた。
しかし半月前にベッドルームを親子二人に譲ったが為に、物置と化した狭い洋室の冷たい床に敷かれた薄っぺらい布団が隆人の今の寝床となっている。
地震が起こったら あっと言う間に崩れそうな荷物の山に囲まれ、まぁそれならそれでもいいやと思いながら。
寒いな・・・ラグのあるリビングの方がまだマシだ。エアコンもあるし、ここよりは安全そうだし。
でもあっちで寝ると、舞がうるさいしな。
『この部屋で私達は一か月耐えたんだからね!』と恨みがましく言われる。
別にいいけど・・・
加集と綿雪さんが結婚かぁ・・・二人で新たな未来を見つめる時期か・・・そんな事もあったな。
加集の奴、菜津子が好きだと俺に宣戦布告してから三か月も経っていないのに、もう他の女と結婚に至るとは・・・
はぁっ・・・加集が結婚してしまうと、菜津子を守る人間が減ってしまう。
それは嫌だな。
加集は32か・・・俺が舞と結婚したのと同じ齢だな。
俺みたいに三年で離婚することにならないよう祈るよ。
しかし、人のしあわせを願うのもいいけれど、俺のしあわせは?
この生活が、死ぬまで続くのかなぁ?
結婚して離婚、そして別の男と再婚して11月末に離婚した妻と八年後に再会した。
現在・・・その離婚した妻が俺の子を身籠った為に、もうすぐ再婚を予定中。
そうしなくていいのならしたくない再婚。いや、子どもが生まれるんだからそれは出来ないが・・・
夫婦になるとはいえど、夫婦生活というものは妊娠中のせいもあるだろうが全くない。
舞とそういう事をしたいとは思ってないが、向こうも思ってないなら、何で再び俺と結婚したいと思ったのかと考える。俺である必要性を感じない。
離婚後、舞とセックスしたのは、本当にあの日一度きり、しかも酒に酔った寝込みを舞に襲われた結果、舞は妊娠した・・・
それが悲しい話なのは、一か月前、舞の妊娠が発覚してすぐに、その時結婚を考えていた菜津子と別れる事になってしまったからだ。
正月明けに勝手にうちに上がり込んでいて、行く当てのないという舞とはなちゃんをそのままここに置いてしまった事を後悔している。多分一生後悔するんだろう。
非情でもなんでも、とにかくあの日に追い出しておけば・・・いいや、俺がこの家を追い出されていても良かった。
とにかく、どこでもいいから菜津子と二人、ここを出て暮らせば良かった。
そうしたらこんな寒くて狭い部屋で、一つの布団しかない中でも、いや寧ろその方が菜津子と身を寄せ合って、仲睦まじく暮らせていたかもしれない。
毎晩そんな事を想い描きながらでないと、眠れない。
菜津子の白くてむっちりすべすべ肌に触れながら、飽きるまでキスをして、昂ぶったカラダの火照りが鎮まるまで抱き合って、満たされた後に眠りに落ち、
目覚めたら、ここに菜津子が俺の傍に居て、このカラダを抱きしめてくれる。
隆人は、両手を使って自分のカラダを抱きしめた。
ああ、菜津子・・・俺だけの菜津子・・・
君の傍に居られないけれど、俺はずっと、君のぬくもりを求め続けて生きるだろう。
俺が舞と再婚しても、君が誰かと結婚しても、俺の気持ちは変わらない。
君を愛している、それでいい。
俺の妄想の中で、俺の運命の人は君だ。恋人も君、妻にしたい人も君、愛しているのも君だけだ。
誰にも侵させない二人だけの世界で、君と俺が何度結ばれようと、罪にならない。
隆人は枕元に置いたスマートフォンに手を伸ばした。
[発信者番号通知OFF]
これでよし。
[電話帳] 綱島菜津子・・・発信。
プツッ。かかった!
『最初に186をつけて発信するなど、電話番号を通知しておかけ直し下さい』
ふーっ・・・菜津子の携帯電話は電源が入っている。
こうやって発信しても、菜津子の携帯電話には、俺が電話をかけたという着信履歴は残らない。
何の意味があるのかって?
意味がないから出来ること。
君の世界に居られなくなってしまった俺の存在を、君を想っていると伝えたくても伝えられない事を、自分の中だけで認めて満足しているに過ぎない。
伝わってしまうならば出来ない事。
菜津子の携帯電話の電源が入れられているかどうかという確認だけしか出来ない行為。
本当は声を聞きたいよ。
だけど・・・聞いてどうする。
例えば、菜津子から俺の望む言葉『会いたいです』と返されたとして、俺も会いたくなってしまったら?
会社内でもお互い、会わないようにしているのに。
今はこうして、菜津子の存在を密かに確かめる事が、俺の現実世界で唯一望める事。
誰も知らない、俺の気持ちを。
俺も──君に恋している事には、知らないふりをして、この先へ行くから。
これで良くはないけれど、悪くもないでしょう?
もう俺は、今日も明日も明後日も、君との未来は何一つ変えられないんだ。
だからおやすみ、菜津子。今夜もどうか良い夢を見てね──
2月24日火曜日の朝、出社した加集は、自分の机周りを片付けながら、溪が一緒に暮らしたくないと思う理由を考えていた。
ゆうべは結局、どうして溪ちゃんが俺と一緒に暮らしたくないのか、その真意を訊くことが出来なかった。
『ごめんなさい、由佳から電話がかかって来ました』
西尾さんが溪ちゃんに電話をして来たらしい・・・ので、通話終了。
俺と暮らしたくない理由、
その一、俺の部屋が狭いから→二人で暮らせる広さの部屋に引っ越す。
その二、俺と四六時中、一緒に居たいと思わない→別居のまま。
その三、実家で暮らしたい→俺が溪ちゃんの実家で暮らす・・・?
うーん、今後どうするかは、理由に因るなぁ。
「おはようございます、加集さん。」溪ちゃんが制服に着替え、広報室に入って来た。
「おはよう、綿雪さん。」俺は椅子から立ち上がり、昨日別人のように乱しまくった制服を今朝は普段通りきちんと着こなした、目映(まばゆ)い溪ちゃんの姿を眺めた。
昨日の昼は、溪ちゃんの纏うこの制服を淫らに脱がせて、あははははは・・・な展開になったのは本当に夢みたいだった。
代わりに、独りの夜は凄く寒さが身に沁みた。
「あの、電話の話だけど、昼にゆっくり・・・」いや、昼エロはしないよ。今日は夜に、じゃなくて今は一緒に暮らすという話が先だから──
俺達の知らない所で、結婚が決まったという噂が昨日の内に社内を駆け巡ったらしい事を、しっかりと把握していなかった俺と溪ちゃんは、挨拶と少しの会話を交わしただけで同僚達に取り囲まれてしまった。
「お二人、お式はいつ頃?どこで?」
「入籍は?両家のご挨拶はもう済まされたのですか?」
「新居は?普段は何と呼び合ってますか?」
「赤ちゃんは、まだ・・・?」
次から次へと、露骨な質問をされた。
そこへ、「はい、朝礼始めます。」
今朝も身が引き締まる塩谷さんの声で、俺と溪ちゃんは同僚包囲網から解放された。
朝礼の最後に、「皆さん、ご存知かと思われますが、加集さんより改めてご報告があります。」と塩谷さんが俺を促した。
ええっ?聞いてませんけど・・・塩谷さんの眼鏡の奥から送られて来る鋭い視線に、また背筋を伸ばされた俺は急遽、
「えー、ゴホッ、コホコホ・・・ええと、この度、わたくし加集と、綿雪溪さんは、婚約させて頂きました。」広報部のみんなの前で、たどたどしく報告した。
たったこれだけで、汗がすごい。シャツびっしょり。
水を打ったようにシーンとされてしまうと途端に居た堪れなくなり、こんな時に必ず突っ込んでくれていた九子先輩の存在ってありがたかったんだなと、ほんのちょっとだけ思った。
ぱち、ぱち、ぱち・・・拍手なのか何なのか、パラパラと両手を叩く音が上がる。
パンパンパン・・・しっかりした音に振り返ると、「加集さん、おめでとうございます。」と塩谷さん、そして村井部長代理が俺の後ろで大きく拍手していた。
つられたようにみんなも、俺と溪ちゃんの方にそれぞれ視線を向け、「おめでとう!」と揃って拍手を大きくした。
てへへ、照れる。綻ぶ口元を気にしながら溪ちゃんへ視線を向けると、同じく照れた様子で、両手は口元を覆いながら、視線を俺に向けている。
結婚するんだなぁ、俺達。
暖かくふわふわした夢の中のような感覚に包まれる中で、だけど一歩一歩、実現に向かって着実に近付いている気がした。
溪ちゃん、二人でしあわせになろうね。
祝福に沸く広報部の様子を、広報室前の通路から見ていた菜津子は、ぼんやりと、11年前の事を思い出していた。
※相手の携帯電話で非通知着信拒否にしてある状態で、184(番号非通知発信)で相手の携帯電話に発信した時のアナウンスになります。相手が非通知着信拒否していない場合は、呼び出し後、非通知着信履歴が残ります。
当小説はフィクションです。いたずら電話・無言電話は迷惑行為になります。
2/13 最終行修正 12年前→11年前 です。申し訳ございません。
※2017.1.3 修正・加筆